31Mar
![](http://hitokoto.today/wp-content/uploads/2019/03/tsunatoomouka-1024x1024.png)
犬を飼うまでは、
リードに繋がれた犬を不憫に思っていました。
もっと自由に走り回りたいはずなのに、
つながれ、ひきまわされて、まるで囚人じゃないかと。
でもそうじゃなかった。
犬は、リードで繋がれていることで安心し、
自ら、好きにふるまえることを知っている。
犬は習慣のいきもの。もちろん
犬だけじゃありません。人間もそう。
その人を作っているのは習慣です。
自分をしばる、あらゆるものから解放され、
自由になりたい。身勝手にしたいと思う。
でも、そのような自由の先にあるのは、
実際のところ、沼のような不自由さです。
自由が作り出す環境の変化はストレスを伴うから。
人間は社会に繋がれているからこそ
社会と繋がって生きていけるものです。
退屈な日常に不自由を覚え、非日常を求める。
脳は飽きやすいし、飽きるとさぼる性質から、
非日常を求めるのは、脳が正常な証拠です。
大事なのはそれをちゃんと非日常と意識できること。
自分の首についているのは、綱かリボンか
非日常の状態になってはじめてわかるからです。
これ、逆も然りですね。
あなたが大切にしているひとやものを
つないでいるのは、リボンですか?
それとも綱、ですか?
きょうもよい1日を!
お変わりありませんか?というあいさつを、
日本人は「ごきげんよう」と同じ意味で使いますね。
綱と思うか、リボンと思うか。(ウォルター・スコット:英国の詩人 1771- 1832)