4Dec
満員電車の中で男の怒鳴りあう声に、吊り広告にあった視線を声のする方へ。スーツ姿の男が二人、互いを威嚇しています。どちらが先にぶつかってきたか、互いを責め合っているようでした。朝の満員電車はただでさえ不快なうえ、罵り合う声でさらに不快度がアップする乗客たち。よくある朝の光景です。
ぼくたちが他人に「怒り」を覚えるのは「不快な扱い」を受けていると感じたとき。2日前、セネカのひとことでも書きました。さらにいえばこの被害者意識は、誇大化しやすいという点でじつにやっかいです。
自分は被害者なのだ
誇大化する背景には、多くの場合「じぶんは特別」という自己過大評価する感情があります。自分の方がエライのに、高学歴なのに、年上なのに、お客なのに、日本人なのに・・などなど。
先日、本屋で立ち読みをしていた時に自分にぶつかってくる人がいました。おや?と思い、みると店員のうしろ姿。急いでいるようで、作業に夢中のようす。「なんだあの態度は」とムッとした瞬間、自分はお客なのにという思いもよぎりました。「客に対する店員の態度」というポイントで被害者意識がこれで3割増し。これが如何に浅はかなことか。
自分が特別という感情はまた、相手との関係性も影響します。これはそもそも受けた被害とはまったく関係のないこと。そもそも被害だったかどうかすらもあやしい。
普段から怒りっぽい人、というのは自分は普段から不当に扱われているという意識が強いことが多い。さらに相手を激しくののしる人は、いささか実力よりも自己評価が高すぎるところがあります。
毎日の暮らしの中でついイラっとしたり、
怒りがこみ上げることがあると思います。
それ自体は負の感情かもしれませんが、
過大な自己評価をしていなかったかを
ふりかえる、よいきっかけになるはずです。
きょうもよい1日を!
なんでもない喜怒哀楽日記が意外と続いてます。
被害妄想はいつも、おのれの美点をあまりに誇大視するところに原因がある。(バートラント・ラッセル『ラッセル幸福論』より)