19Jan
人間は1日に平均6万回も思考するといいます。
そのほとんどは「きょうお昼何食べようかな?」「雨降りそうだな、傘忘れたな」「こう言ったら相手に嫌がられるだろうか?」といった些細なこと。しかも、ネガティブなことの方がずっと多いともいわれます。
思っていることを声に出せば『ひとりごと』になりますが、出さなければ『内語』に分類されます。まさにこの『内語』にこそ、四六時中ぼくたちは支配されていることになります。そこには他人の言葉を反芻したり、過去を思いだしたり、願望したりと、なにかしらのとりとめのない『内語』が、わんわんと頭の中で鳴り響いている。そんな感じでしょうか。
残念なことに、こうして思考することの多くは、ゴミです。老廃物ともいいます。血栓のように目詰まりを起こさせます。集中力を欠けさせたり、行動力を阻害したりします。
そのことを憂いてある種の人たちは瞑想をするなど強制的に「無の時間」を作ろうとします。思考にじゃまされない「空間」を作り出し、保とうとします。多くの思考は外からの情報によって増幅するから、あえて情報をシャットアウトします。
選択を減らすのも吉だと思います。
モノがありすぎるのも選択が増える元凶です。部屋や職場にモノを増やさないでいると清々しいのは、頭の中に入り込む情報が減り、選択が減るからです。世の中に情報があふれ選択肢が増えるほど、人間の脳には負担がかかり、ひとつひとつの決断の質が落ちてきます。人が不快なストレスを感じやすくなるのは、こうした決断の質が落ちるからです。
きょうもよい1日を!
芭蕉の句に触れるとどこか浄化する思いがするのはきっと、そのシンプルさゆえですね。
おろかなる者は思ふ事おほし(松尾芭蕉)