きょうもよい1日を!

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きょうのひとこと

ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。でも靴が汚れなくてよかった

きょうのひとことは、あのマリー・アントワネットが最期に放ったセリフです。ギロチンにかけられる直前、死刑執行人シャルル・アンリ・サクソンの足を踏んでしまったため、言ったのでした。これから自分の首を落とそうとするその相手に、です。

ここでギロチンについてひとこと。

ギロチンは罪人を処刑するための道具として、長くフランスで使用されていました。それもつい1981年まで。ギロチンの目的は、単に罪人の首を切り落とすだけでなく、民衆の娯楽として公開処刑されていました。

近世のフランスは、首都パリにおいても多くの人が貧しく、政治に対して不満を抱え鬱屈した日々をおくっていました。それが高じてあの革命も起こったわけですが、ギロチンはそんな市民の「憂さ晴らし」をするために用意されたのです。生活の不満を処刑される悪人にぶつけ、スパーンと首が切り落とされる光景を見ることで、ウサを晴らしていたわけですね。

なんと残酷な!と現代のぼくたちはそう思わないわけにいかないけれど、当時のフランス人たちは相応にこころが荒んでいました。それ以上に、不満の原因を制度的に解決し得ない社会的欠陥があったのだと思います。それが証拠に、フランス革命後もギロチンは廃止されませんでした。だれかを悪人に仕立て、懲らしめてはスカッとしたい。本当は社会システムの構造的欠陥を分析して解決する制度が必要だったのに、です。

マリー・アントワネットの評価は賛否ありますが、ぼくはなぜかこの「最後の一言」に強く惹きつけられてなりません。娯楽を求め、彼女の公開処刑を見ようとコンコルド広場に集まる群衆。彼女に浴びせる罵倒で、場内は騒然としている。

そこに、断頭台へ連行されるマリー・アントワネット。おそらくよろめいたのでしょう。うっかりそばにいた執行人の足を誤って踏んでしまう。

踏んだあと、踏んだ靴を汚してしまわなかったかどうかまで確認するこの心の余裕、相手への気遣いを、このときまで彼女は持っていたのです。

どんなきれいごとを放つより、この最期の一言は胸に残る気がしませんか?

 

きょうもよい1日を!
そのひとの品格と威厳こそは
とっさに出てこそホンモノですね。


ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。でも靴が汚れなくてよかった。(マリー・アントワネット)

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