5Jun
電車に乗れば、乗客が全員スマホをみてる
という光景が、めずらしくなくなりました。
移動中などの、ちょっとしたすき間時間、
いまではこうしてスマホを見て過ごしている時間を、それがなかった時代はどう過ごしてたろう?と思わずにいられません。
いつしかぼくたちは、必要度をはるかに超えて、たくさんの情報を消費するようになりました。情報は、人生をゆたかにしてくれるいっぽうで、選択にまよい、判断をぶれさせ、かえって自由度をうしなわせもしています。
あれを思い、これを考え、ふわふわと、
こころの置きどころが漂い、定まらない感じ。
きょうのひとことは、禅の教えから選びました。
周囲の動きや情報などにほんろうされることなく、逆にそれらを意のままに駆使していく主体性あれば、自ら人生の主人公として生きていけるのだ。という意味あいのことばです。
「随所主となれば」とは
どんな環境にあっても主体性を失わないでいること。
その時その場のことになりきることをいい、
「立処みな真なり」とは
迷ったりブレたりすことなく悠々と自適できる真の人生を
すごすことができるというわけですね。
情報に迷い、あれこれと
雑念に支配されそうになったとき
おまじないのように唱えます。
そうやって、
こころの置きどころを決め
そこに自分をちゃんと戻してやる
ふと まよいそうになるとき
自分にいいきかせます。
きょうもよい1日を!
減らす、手放す、忘れることも
ときには必要ですね。
随処に主となれば、立処みな真なり(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり:臨済義玄禅師)
成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない
私は自分へのご褒美と思って何かを買うのは大嫌い。大きな買い物をするのは、これからの試練をいっしょに戦う勇気をもらうため。必ず先にある何かのために買うのです。