9Feb
そういえば空想しなくなったなあ・・
仕事に追われ、生活に追われていると
いやがおうでも「現実」に迫られます。
まじめな人は自分にも厳しいから、そんな現実に疲れてしまうこともあります。
どんなに忙しくたって、1日なんどかぽっこりと空白の時間ができるものです。スマホなどがなかった時代は、わりとそういった「ぽっこりあく時間」を使って、いろんな空想をしていたものでした。
空想って想像とちがうの?
空想って字のごとく「空を見てなにかを想う」ことです。こうなったらステキだなとか、あそこでこんなふうに遊びたいとか、こんな暮らしをしてみたいとか、だいすきな人がしあわせにいてほしいとか、まあ、じぶんにとって都合のいいことばかりを想うわけです。
想像の中に含まれますが、とにかく無限大にすばらしいことを想うのが「空想」だと、ぼくは解釈しています。
そんな空想がうまくできないとき、あらためて自分は疲れていたことを知ります。考えが暗くなっているとうまく空想できなかったりするしね。そしたら形からはいります。顔を上に向けるだけ。
空を見上げて想う。
顔を上に向けると、心なしか気持ちも軽くなってきます。とことん落ち込んでいるときは、とことん空を見上げる。
そして宇宙のかなたから、この大地に立つちっぽけな自分を見おろしてみます。これがとびきりすばらしい空想をするときの儀式みたいなものです。
ぼくなんかはもう、ちょっとここでは書けないようなすごい空想とかします。
そんな空想が、ふと旅にでかけたときにクロスすることがあります。ああ、ここだったんだ!と思えるような。
旅をしているあいだ、日常より明らかに空を見上げている時間が長い。それは天気を気にしたり、建物や山を見上げていたりするだけでなく、地球にいることを実感しているからだと思います。
想像すること、とはこころのために考えること。空想することは現実逃避というよりは、がっつり心と向きあうことだとぼくは考えます。
現実なんて勝手にやってきます。
空をみあげて深呼吸、
空想する時間をお忘れなく。
きょうもよい1日を!
どうせ空想するなら思いきりすばらしい想像にしたほうがいいでしょう?(L.M.モンゴメリー)