17Nov
せっかくサラリーマン辞めて
自由になれたのに、
どうしてまだ働いてるんですか?
ある知人からそう言われてドキッとしました。
働くのがイヤになって、サラリーマンを卒業した
わけではないからです。
ぼくがサラリーマンを辞めた理由は、自由でいたいからというのもそうですが、正確には「会社という他人が作った箱に自分の体を合わせて働いていたくなかった」からです。
社会に出てから30年あまり。うち、雇われて働いていたのが25年、残りは自営か会社経営です。両者を比べたとき、自分には自営が向いていることがわかりました。同時に、働きたいときに好きなだけ働けて、しかも儲かるか儲からないに関わらず、好きな仕事をしていられる。そんな環境でいたい思います。
さて「労働」については、かのヴォルテールがこう言っています。
労働はわれわれを三つの大きな悪から逃れしめる。つまり、退屈、悪徳、欲求から。
人はなぜ働くのか?
大半は「お金のためでしょ?」と返されそうですが、そればかりではありません。お金を労働によって作るのは手段のひとつで、「お金はお金に働いてもらう」こともできるし、賃金の多寡にふりまわされないためにもそちらを収入のメインにするのが理想です。
察するに、宝くじで数億円当てた人の末路は悲惨です。
働かなくてもお金がある状態が、どれほど「人生のやる気を失う」か、かずかずの証言がものがたっています。結局は「生活の固定費」が極端に上がり、あっというまに数億円を食いつぶして終わるんだそうです。終わっても「また当たるにちがいない」と願い、いったん身についた浪費グセと戦いながら、残りの人生をすごす・・ひとは急に不労所得を得ると冷静ではいられないんですね。
ヴォルテールの言う「退屈」が、いかに人間を狂わすか。人生からやる気を失わせるか、多くの実証があります。世の中は面白いというか、よくできています。人間は世のため人のために貢献できていないと、苦しむようにセットされている。誰かの役にたっていないと、正気ではいられなくなるんです。働かなくても一生困らない大金持ちでもけっきょく働いているし、働きながらもたくさん寄付をしています。
退屈とはヒマとはちがいます。いわば「自分が世のためになっていない」ことを自覚している状態です。これはほんとうにつらい。労働はそれを遠ざけてくれます。だから、どんな状態にあっても労働は人間にとって必要なのです。ぼくは仕事を通じ、リタイアされた高齢者と話す機会があります。多くは「働いてお金を貯めている時期が一番楽しかった」と一様に言われます。お金がないのも怖いが、退屈はもっと怖い、と。ほんとうに怖いのは老いじゃない、「役たたず」と言われることだ。ましてそれが人生最期の数年間だなんて、耐えられない。
これはなにも引退者だけが言えることではありませんね。
きょうもよい1日を!
お金のために働いているようにみえて、
実はそれ以外の恩恵のほうが多いですね。
週末に感謝するのもそのひとつかもしれません。
労働はわれわれを三つの大きな悪から逃れしめる。つまり、退屈、悪徳、欲求から。(ヴォルテール)