14Dec
じぶんのからだは、
食べたものでできています。
からだの組織はそれぞれに寿命があって、
短いもので粘膜は数日、長くても骨で数年。
おおよそは半年でがらっと入れ替わるくらい。
食べる回数はきまっているし、
おなかにはいる量には限度がある。
あたりまえのことなのに、
ときどきそのことを忘れてしまいます。
ごはんつぶを残すと目がつぶれるわよ
と祖母はかつて、ぼくによく言いました。
祖母の作る料理はどれもちょっとかためで、少量をたくさんのお皿や器に入れて出すのが特徴でした。箸をうごかす距離があるほうが美味しくなるから、と言ってもいました。他のものと味が混じらないようにする配慮だったのかもしれません。
いずれにしても、今もちょっと芯が残っている煮物や、たくさんの器に少量ずつ入った料理を前にすると、祖母の顔が浮かびます。思えばそれぞれに、料理は作る人のくせのようなものがあらわれてくるのでしょう。
行きつけの定食屋や、カウンター越しに出してくれる小料理屋のおばちゃん。とおいむかし、鉄板焼きにのせられたまま食べるお好み焼き(もちろん広島風)にも。料理というのは作る人に似てるなと思います。
そう思うと、顔の見える料理というのはとてもだいじで、希少で、ありがたいものです。ファストフードのハンバーガーやコンビニの弁当が、作る人に似ているとは思いません。むしろ、作る人ごとに変わっては商品になりませんから。
自分をつくるだいじなたべもの。
そのたべものは、作る人に似ている。
一食、一食をだいじにいただきましょう。
きょうもよい1日を!
野菜は近くの農家の人から買ってます。
これがもう、信じられないくらい美味しいです。
料理はどこか、作る人によく似てくるのだと思う。(馬場 わかな )