16Apr
日本は「言霊の国」といわれます。
万葉集には「言霊の幸わう国」とし、言葉が持つ力によって幸せになる国、これからも平安でありますように、と言い残されています。よい言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すれば凶事が起こるとされています。
もちろん日本だけではありません。
新約聖書には「はじめに言葉ありき」とあります。
すべては神の言葉からはじまった。つまり、言葉こそ神であるとされています。
ふだんなにげなくつかう言葉。
ことばづかいによって、その人の人柄が出たり、行き先が暗示られたりと、なかなかおろそかにできないものですね。
さいきんは、ネットやメールなど、文字に残す形で言葉をやり取りする機会が増えました。会ったことはないけれど、言葉は交わしている、という状況も思いのほか多いもの。
にもかかわらず、びっくりするほど言葉がおざなりになっているようにも思います。ある日とつぜん、誹謗めいた言葉が届いたりするのも、ネット社会では普通にあります。
だれかを誹謗したつもりが、自分の人柄を悪くさらしだし、ひいてはこの先の凶事すら招くことに、ぼくたちはもっと認識すべきだろうと思います。
いっぽうで、感謝やうれしさを表現する言葉には、そこはかとなく幸福感が漂います。よいことが起こり、よい人柄が伺えます。
うまくいっていないことも、いろいろあって、うまくいくんじゃないか。そう思わせるきっかけは、やはり発せられる言葉によるのだと、実感しています。
きょうもよい1日を!
きょういちにち、ことばをていねいにしてみませんか。なにか発見があるかもしれません。
他人は互いにわかり合えないものです。わかり合えないからこそ、言葉があるのです。(養老孟司)