10May
言わずと知れたナチスのユダヤ人強制収用所
があった場所です。
そこに収容されていたユダヤ人のひとりにヴィクトール・
ぼくはこの本を何度読んだかしれません。
初めて手に取ったのは高校を卒業したとき。
次に読んだのはドイツで暮らし始めたとき。
22のとき、初めてアウシュビッツを訪れたのも
実はこの本の影響からでした。
人生の転機がなんどかあり、
42のときには事業で大失敗を犯しました。
このときは絶望し、死ぬことも考えました。
でも、ふと手にしたこの本に救われました。
どんな時にも、人生には、意味がある
この人生のどこかに、あなたを必要とする
何かがあり、あなたを必要とする誰かがいる
たとえ今がどんなに苦しくても、
あなたは全てを投げ出す必要はない
たとえあなたが人生にイエスと言えなくても
人生のほうからあなたにイエスと言うだろう
・・・
10代、20代、30代、40代と
読み返すたびに、そのときどきの
自分のいちばん硬く強ばっている部分を
やさしく解きほぐしてくれる感があります。
それが
死ぬことを前提に暮らしていた
絶滅強制収用所で生き残ったフランクルの
手記によるものというのも不思議な話です。
苦しいとき、人は悩んでいるからです。
でも悩みそのものに苦しまされてるんじゃない。
むしろ悩む人ほど健康で人間的である
悩む能力が麻痺していないからだ。
とフランクルは説きます。
ではいったい、なにに悩んでいるか?
それは「自分自身」にほかなりません。
それは、自分が自由に決められます。
自分のあり方は自分で選ぶ自由があります。
ものすごく希望が湧いてきませんか?
きょうもよい1日を!
きょう、あなたが過ごす1日には
意味があるんです。
——————————
人間は悩みに苦しむのではない。悩んでいる「自分自身」