31Mar
犬を飼うまでは、
リードに繋がれた犬を不憫に思っていました。
もっと自由に走り回りたいはずなのに、
つながれ、ひきまわされて、まるで囚人じゃないかと。
でもそうじゃなかった。
犬は、リードで繋がれていることで安心し、
自ら、好きにふるまえることを知っている。
犬は習慣のいきもの。もちろん
犬だけじゃありません。人間もそう。
その人を作っているのは習慣です。
自分をしばる、あらゆるものから解放され、
自由になりたい。身勝手にしたいと思う。
でも、そのような自由の先にあるのは、
実際のところ、沼のような不自由さです。
自由が作り出す環境の変化はストレスを伴うから。
人間は社会に繋がれているからこそ
社会と繋がって生きていけるものです。
退屈な日常に不自由を覚え、非日常を求める。
脳は飽きやすいし、飽きるとさぼる性質から、
非日常を求めるのは、脳が正常な証拠です。
大事なのはそれをちゃんと非日常と意識できること。
自分の首についているのは、綱かリボンか
非日常の状態になってはじめてわかるからです。
これ、逆も然りですね。
あなたが大切にしているひとやものを
つないでいるのは、リボンですか?
それとも綱、ですか?
きょうもよい1日を!
お変わりありませんか?というあいさつを、
日本人は「ごきげんよう」と同じ意味で使いますね。
綱と思うか、リボンと思うか。(ウォルター・スコット:英国の詩人 1771- 1832)