22Mar
学生のころ、ひとりがトイレに行けば、なかまたちもいっしょにぞろぞろついて行く光景が見られました。
あの異様な光景は社会人も同じ。
お昼どき、ぞろぞろ集団で食べに行くサラリーマンの姿がみられます。
なかでも違和感をもったのが、会議に参加する人の多さでした。なぜか会議中、まったく発言しない人もいます。参加者も多ければ、会議の数そのものが多い。
日本人は集団になると強い。
なんとなくそう思わされてきました。ぼくは社会人になってから20年以上、国外で暮らし、仕事をしていました。東京に出張し、会議をすれば、その参加者数の多さに、いつもおどろかされます。名刺交換はまるで握手会のようでした。
集団になると強いのか?
ルポライターの竹中労氏は「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」と名言を残しています。
なぜ群れると弱いのでしょうか?
原因は依存心にあります。
なぜ参加しているのかわからない会議をいくらやったって、なにも決まらないものです。どうせ誰かが決めるのだろう、わざわざ意見して反論されたり恨まれちゃうのもいやだしな、などとだまっている人のなんと多いことか。
なにも決まらない会議。
自分は責任を取りたくない、他者依存心が群れを作ります。リーダーにあたる人がこれだと、悲劇以外のなにものでもありません。日本の会社は生産性が低い、などといわれるのはホワイトカラーと呼ばれる人たちが、こんな会議ばかりやっているからです。会議の資料作りやその配布、議事録作りに、いったいどれだけ時間とコストと、なにより労力と気力が失われていくことでしょうか。
一人ひとりは優れていても、依存し合えばただの「群れ」。ひとりひとりの優秀さは、責任転嫁と他者糾弾に費やされ、きょうも1日過ぎていきます。
どうして会社に人が集うか?
役割を分担したほうが、ひとりで全部やるより効率がいいからです。エラい人ほどヒマで、だから会議ばかりするのは会社ではありません。
ひとは群れると決められなくなります。
そう、群れに答えはないからです。
きょうもよい1日を。
それをいま、とても実感しています。
群れに答えはない。(高崎卓馬)