20May
スマホの普及と検索エンジンの高度化で
情報のあり方が以前とずいぶん変わりました。
情報のあり方が以前とずいぶん変わりました。
知らないことを
ただちに知ることができる。
つまり
知らなかったことも
数秒後には知っている。
こうなると「知っていること」
と「知らないこと」の境界が、
だんだんとあいまいになってきます。
知らなかった時間が
あまりに短いからです。
記憶にも残らないほどに。
薄く広い範囲で得られる知識。
ぼくはこれをひそかに「情報のコンビニ化」
と呼んでいます。
食べるものが冷蔵庫になくても
近くのコンビニにいけばある。
知識も似たようなものかもしれません。
もちろん、ネットにあるような情報を
得たところでそれは知識と言えるのか?
みたいな意見はあります。
でもこれは情報ソース次第が問われており
簡易さとはまた別の話です。
孔子はこんな言葉を残しています。
「知らざるを知らずとなす
これ知るなり」
知らないことを知らないと自覚する
それが本当の「知る」ということだ。
という意味ですね。
同じことをソクラテスは「無知の知」
と論じています。偶然でしょうか?
孔子が没したのが紀元前479年、
ソクラテスはその死後10年後の
紀元前469年に生まれています。
孔子は四川で、ソクラテスはアテネ
同じような時期で、東西離れた場所で、
知らないことを知るのが知るということだ
なんてことを言っていたわけです。
知りませんでした。
きょうもよい1日を!
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知らざるを知らずとなす これ知るなり(孔子)