26Oct
少し止まって
と書いて「歩み」と読みます。
歩き続けるということは
ときおり止まってもいい
ということですね。
ぼくたちは毎日なにかと忙しい。
これをやったら得するのではないかと
あれをやったから損したのではないかと
失うことを恐れて、忙しい。
あいつうまくやったなあ、
それに比べて自分はなんてザマだろう?
と焦ります。焦ってさらに忙しい。
心を亡くす
とかいて「忙しい」と読みます。
漢字はそれぞれ意味があるのでしょう。
漢字の起源は3300年前も昔のこと。
それがいまでも通用しているのだから
人間は変わっているようで「あいかわらず」
なのかもしれません。
さいきん誰かを指して
「あの人は徳がある」という言い方を
しなくなりました。
徳がある人がいなくなったわけじゃなく
徳を積むという意識がなくなったのだろう
と思います。
得をすることに関心があっても
徳を積むことには関心がない
忙しさの原因はそこにあるのかも
しれないなあと思います。
スマホの画面に忙しく
だれかがそばで困っていても
道にゴミが落ちていても
気がつかない。意識が向かない。
ということがなかったでしょうか。
だれも気づかないところで
心あるおこないをすると決めると
少し、忙しいことから遠のきます。
他人への配慮、ものへの配慮、
もしかしたら、自分への配慮。
こうしたことに意識が向きます。
いま自分になにができるか?
ただちにそれをしているでしょうか。
そのことで徳が積めるでしょうか。
歩きながらそんなことを
考えていました。
きょうもよい1日を!
よいことを意識すると
よいことが見えてきます。
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人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に、道徳