31Aug
いま美しく咲いている桜を、
明日も見られるだろうと安心
していると、夜半に吹く強い風に
散ってしまうかもしれない
という意味です。親鸞聖人が、
9歳のときに詠んだといわ
昔から日本人は桜を「いのち」と例えること
読み方によっては、
「いつかやろうと思っている
しているうちに、死んでしまうかもしれ
という意味にもとれます。
いま精一杯生きなくて、いつ精一杯生きるんだ?
という戒めとして、ぼくはよく「おもうこころのあだざく
と心のなかで反芻しています。
あきらめそうになるとき、
明日やればいいや、と思うとき
頭に浮かべてもらえるとうれしいです。
それにしてもおそるべき親鸞少年、
9歳でこれを詠むとは
きょうもよい1日を!
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明日あり と思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは(親鸞)